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子を貸し腕を貸し仕る
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教育の難易度が上がるに従って、第二外国語(以後二外と書く)に取り組む。

然し其の教え方は主に訳読が中心の様な感じがする。こんな事では手緩い。

中學時代の授業で洋楽を用いた空所への穴埋めと云う物が在った。矢張りどの言語で在れ、疎通を狙うなら聴解力と發話力が必要だと思われる。

是を応用して、二外でも出来ない物だろうかと考える昨今で在る。

飽く迄も鍛錬法としての取組で、きちんと此の授業に取り組んだ人を評価する様な制度が必要に感じる。

まァ他にも方法は考えて居るンだが今日はこんな所で…



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何冊か専門の『教科書』を読み進めて、未開拓の場所を探求して行く内に自分の形が出来て来る。

此処迄来ると破の段階に至ったと見て良いと思う。

然し未だ教科書に依存して居る部分が多々在る為、離の段階に至ったとは言えん。

でも最近は日本語論文を読んで居る為か、論文がどーゆー物なのかが解って来た感じだ。

書いて行くと面白い。然し乍ら、頁数を殖やす上での基本は矢張り読書の様に思われる。

発祥國に於いてのプロスポーツは当に國技と称するに値するのではないか。日本にはプロスポーツが余り見られないが、是が日本人達の曖昧で中途半端な心情の指標だとするのは如何なのだろう。尤も日本に於いても企業や警察等の管轄下に置かれた物が実質上のプロと称するに相応しいと考える。だが、独立独歩でプロを自認する武道団体が少ないのも確かだ。

段位制度の無いボクシングの場合、基本的にはプロ・アマ共に根本的な枠組は一緒だ。唯一の違いとしては、プロがK.O.を有効打とは別に扱い、高得点にするのに対し、アマはK.O.と有効打を同程度の扱いにする事位だろう。

其の他にプロ格闘技と称する団体は大枠からの完全なる逸脱が目立つ。

とすると、武道のプロ化を考える上で最も参考に成るはボクシングと云う事に成る。

段位制度を保ちつつプロとアマを分けた分野として考えられるのが囲碁・将棋で在るが、プロとアマが段位を別に出す所は統一して欲しい。此の場合、採用する段位は飽く迄もアマの物として、其の中でプロ志望の者とアマ志望の者を分けるのは如何なのだろう。

詰り同じ三段の者でもプロ型とアマ型を並置させる様にするのだ。

そして、プロは内弟子としての扱いとするので在る。プロ志望の者の資格に関しては、無級者で幼少の者に関しても其の門戸を開いて行きたい所で在るが、一番の壁は義務教育九年間だろう。

是と内弟子制度の両立が必要に思われる。其れ故、幼少の内弟子を有つ道場には、同時に其の道場が属して居る学区内の学校に通わせる事を保証する義務を与える可きでは無いのだろうか。例えば、義務教育機関の教育費を道場が絶対的に援助するので在る。義務教育期には道場では学べない幅広い刺激を学校内で与えて措いた方が内弟子の心身の発達が見込める様に思う。

武道のプロ化を考える上では此の辺りを考えて行くと良いのかも知れない。

ではどの武道をプロ化するのかと云う事に成ると首を傾げる人も多いだろう。

此の辺りは加筆の可能性も示唆しつつ、読者各位に委ねる事としたい。

官僚は基本のみを徹底したジェネラリストで在り、基本に忠実で在る事が最優先される為、此処での論題の対象とはしない。彼等の個々の分野に措ける技量は児戯に等しく、更に御用繁多で在る事から基本から著しく逸脱した物に手を出したがらない人が多い。

此処で問題にしたいのは飽く迄もスペシャリストで在る。

私自身が考えるに、スペシャリストには三通り存在する様に感じる。

即ち、実務家・教師・研究者で在る。

実生活との密着度から考えると、実務家≧教師≧研究者と成る。

与えられた職務を全うすると云う面に於いては実務家も官僚と然程変わらない。唯一の違いとすれば、実務家の方が当該分野に於ける応用技を知ってる事位で在ろうか。但し、彼等は知識を手続的に覚えるのは得意でも宣言的に覚えるのが不得手な場合が多い。故に実務的能力のみでは後継者が育ち難い。其れに実務家も自身の技術の継承には然程執着を見せないらしーので在る。

教師に関しては、実務家としての能力に加え卓越した指導能力が要求される。具体的には当該分野の教科書が理解出来る事は勿論の事、其れを人に教える口頭での表現技術だ。故に教師を養成する場合必ず課されるのが学科試験だ。然し乍ら、此の様な宣言的指導法では片付かない感覚手続的な物が存在するのも確かだ。其れ等をどの様に口頭で表現出来るかが教師の指導力の指標なのではないか。

研究者の場合、やや自由度が高い。確率されて居る数々の資料の中から未開拓の物を様々に昇華して新しい物を構築するのだ。是は世の中の円滑化を図る上では最高の業績の様に思われる。然し乍ら、其の空理空論に因り考案物が実生活との齟齬を生む場合も多く、研究者の場合、如何にして世に受容される物を構築するかに懸って居るのでは無かろうか。

能力的な側面から考えると、研究者≧教師≧実務家と言える。抑実務家が研究者としての素性を有てば実務家も研究者に成れるし、教師としての素性を有てば教師に成れる訳で在る。研究者乃至教師が実務家としての知識を得る事で持論を発展させる上で一役買うのは間違い無いのでは無いか。

其れこそ通常のスペシャリストには見られないダブル・スペシャリストとしての地位を歩む事にも繋がる訳で在る。ダブル・スペシャリストに因って構築された基本技能は従来の物よりも効率的な場合が多い為、軽視出来ぬ能力で在る。教師は両面に於ける理論と実践を徹底的に網羅するとすると、研究者は理解の促進を図る為に更なる効率化を図るのかも知れない。

教育を考える上では重要な事の様に思える。

幼稚園から大學迄は守だと思う。此の辺りの段階は多少の差こそ在れ、教科書に忠実で在る事が基本で在る事に違いは無い。

大學院博士前期課程が破の段階で、博士後期課程が離の段階の様に思われる。

博士両課程に関しては、貢献度の差に過ぎんと思われる。前期課程から後期課程に行くに従って独創性が見出される訳だ。最新情報は勿論の事、最古の情報迄遡って独自の境地を作り出す訳だから教科書は要らないのは至極当然の様に思われる。因みに前期課程を修了すると得られる修士号は博士論文が不完全な者に慰めの為に与えられる代物の様だ。

大學に於いては一部の学校では學位論文を課す場合も在るので守と破の中間層に位置すると見て差し支え無いのかも知れん。

研究対象は前人未踏で在れば在る丈良い。

今俺自身、自らの専門で在る語学を主体に据える様な感じで考えて来ては居たンだが、独自の方向性が見えて来た様に思える。

言語学ってのは結構地域との乖離が激しいのは物凄く苦々しく思ってた。其れに指導教授も固い。

こー成りゃ独自の境地を築き上げるより他在るまい…

俺が今考えてンのは、英語を飽く迄も学習教科の一つとして捉え、其れを様々な学習教科が含まれる『教育』って範疇に纏め上げた様な物。

勿論教育の根本に言語を据える訳なんだけど、此の場合、英語よりも日本語の方が望ましいと考えて居る。

論文も、日本語で書くのを主としたい。又、英語教諭免許取得者としての意地も在る為、英訳した物も出して行きたい。
何が何でも外国語で書かなきゃ行かんって法は無いと思う。

第一自国に生かす様にしないでどーすンのよ…

語学系の人とかは外国語の腕を上げる意味で外国語で書いても良いとは思うンだけどよ…

非語学系の場合は母語で書いた方が良いと思うね…

極端に発信型に走るのは間違いだと思う。

今日はこんな所。取り敢えず頭脳流出の原因だって、自国の為に尽くそうともしない左系学者達が居るからなんだろーな…

不思議なモンだ…

一つの表現なのに、其れの解釈の仕方は一様では無い。

此方が当たり前の様に使ってる表現でも相手にとっては当たり前でない物も多い。

其れが為に人間関係に皹が入る事も在り得る。

難しいね…人は挫折から学ぶ事も多いのかも知れないな…そして禁句データの様な物が蓄積されて行くのかも知れぬ。そして世界が開けて行くので在ろう。

こんな不器用な俺だが何れは表現の深奥って奴を極めてみせるぜ☆

実際竹刀よりも木刀握って素振りした方が落ち着く。

何故なんだろう…

考えられる要因としちゃあ、握った時の感触が真剣に近いからなんだろーな…

空気抵抗とか在るから竹刀は行かんのだろーなァ…

でも剣道の良い所としては、年齢が上がるに連れて竹刀重量の最小値を上げてる所だね…

でも飽く迄も俺の基本は体術で、其の為の強靭な肉体を作る為に素振りしてるに過ぎんから…


博士論文を書くには広く浅くでは不十分だ。

矢張り出来る限り広く深く物事を追求して行かねば行かんのだろう。

然し、唯闇雲に広く深く追求するのではない。

幾つかの項目を関連付けて説明出来なければ行けないので在る。

課程生は指導教授がそーなのかも知れんが、一つの枠組の中に閉じ篭り勝ちだ。

英文學専攻で在れば基本的に語学に関係した事にしか目を向けぬ輩が多過ぎる。そーゆー奴が一度官僚なんかに成ると、視野の狭さから間違った指針案を出す様に成る。

もう少し周辺分野にも気を配ったが良い。

後、日本の大學院で在れば何処で在れ國語を試験に出す位の意気込みが欲しいかな…國語力≧外國語なのは間違い無い。従って國語力を向上させんと外國語に接したとしても其れは唯の音で在り、遺跡でしかないので在る。

今、學校教育法から派生して法学に興味有ち始めてるンだけどね…

英文學専攻に居たら絶対得られん様な情報が満載だよ…

民間資格と雖も侮れぬ。何故なら其の試験たるや少なくとも全国水準で行われる為だ。

是は、学校毎で教師達に因って勝手に作られる修了試験とは雲泥の差とでも云う可き隔たりが在る。

だから民間資格にしろ有ってる事に誇りを見出す可きだと思う。

理科検定(http://www.rikagaku.org/home/grade/grade.html)ってのが存在するらしい。

『理科』って感じだから恐らく地學やら化學、生物學、物理學を包括してる物と思われる。

見てみた所、高卒水準は2級以上。

此奴を高卒認定免除要件に加えるとしてどんな風にするンかな…

此奴に受かってる丈で高等學校の理科の課程全てを修了出来るって御得算段には成りはしないか?!

恐らく受容が著しく高まる様な感じがすっけどね…

是からの動向に注目して行きたいと思う代物☆

此奴が免除要件に加わったら世の高校生は救われるンだろーなァ…

若しかしてアノ制度が日本人研究者の研究を堅苦しくしてる元凶なのかも…

例えば英語學=英語科免許、法學=公民科免許って具合なんだけどね…

従って日本の事全て網羅した日本學なんて分野の場合、教員免許が一切貰えぬ事に成る…

學際的な事したかったら學会でも入れってか…

狭いンだよなァ…

でも唯でえ教員免許更新制争議で此方の生活が脅かされてるってのにのうのうと専門分野に感ける奴等って相当危機意識を感じてねェな…

教員免許取得してねェ研究者なんか能天気だよね…

戦前の場合、義務教育が小学校で終了してたのに対し、戦後は中学校迄伸ばされた。

何の関係が在るのかは知らんが、此の時期以降に日本人の平均寿命が延びては居ないだろーか。

是は何を意味して居るのか。

恐らく義務教育期間の延長により、体調管理がきちんと為される様に成ったのも一員だと思う。

中でも体育の時間は相当の割合を占めて居る様に感じる。
一言若しくは其れに出来る丈近い語数で説明出来ない物は検定教科書に加えるのは避けた方が良いと思う。

そー云うのは高度な段階の語彙で在る為、初期の段階に於いては日本語で教える可きで在る。

若年者にとっては負担が大きく成る許りで在ろう。
或る人が言うには、日本人の書く論文てェのは尾括型が多く、日本語の文法も影響してるのだとか…

そー言えば中国人の書いてる日本語論文って結論を先に述べてた感じが在るね…

どの位の頻度かってのは未だ数えてないンだけど…統計なんて嘘八百だからあんま好きではないンだが…

大学評価・学位授与機構のURL飛んでみたけど是奴は酷ェ!!

http://www.niad.ac.jp/n_gakui/ninteisisetsu/index.html

学士は良いとしても修士以上行くともろ理系じゃねェかよ…

もう少し文系枠を殖やしてくれよ…

文系の需要ってそんなに低かったのかよ…

阿呆だな…

此の国って真面理系に偏ってるよ…

改善求む!!

教育学やら言語学やら法律学やら実績上げる為に形振り構わず書物を渉猟してるよ…

此奴が全力を開放した大學院生の力って奴かも…

論文形式の奴読むからなんか頭が良く成った様な感じだ…

兎に角夏目漱石なんかを原典の侭読ませる様な講義を必修科目にして欲しいやな…

そしたらもっと上がるのに…
短期間で実績上げようと思ったら決められた枠組―課程―内に留まってちゃ駄目だよな…

井の中の蛙大海を知らずってね…

天才って何気に興味の対象が広いから独創的なのかも…

取り敢えず実績上げるにゃ学会こそ全てと見て間違い無さそうだ。

出版したいから著作権法を熟読せねば…

因みに学士号さえ在れば専修学校や高等専門学校、短大の教員にも成れるそうだから探してみるかな…

だって学習指導要領の枠組って詰んないンだもん…
基本文字媒体を読む事が論文を書く事の第一歩なんだが其れに色を添えてくれるのが個人インタピューなのかもな…

個人インタビューを入れる事で少なからず剽窃される危険性も減るのかも知れんね…特にメールで在れば、どの様な行り取りが在ったかってのを説明出来る状況証拠に成り得るモンだから個人情報保護法が在るとは言え、どっちが本家なのかを証明出来る事にも繋がる訳さ…

そして個人インタビューの盛り込まれた論文ってのは個性に満ち満ちた物に成るンだと思う…

そー考えてみると外部の人間との接触って物凄く大事だな…

精進しよ…

授業なんだけど、主な奴3つ程履修したら授業日で無い時にでも国立国会図書館へ行くとしよう。

後、論文博士は無くさんでも良いと思うけどなァ…学会なんかに入ってたら或る程度の情報は得られる訳だしね…

今する事としては、今の修論に手直しを加えて学会仕様に校正する事なんだけど…うーん…

やっぱり人脈なのかな…さて…どーすっかな…指導教授の馬鹿に聞いても逃げられる丈だし…

あー…自分の研究時間犠牲にしてコネを作っといた方が良いのだろーか…だけど結局利用される丈に終らんのだろーか。

取り敢えず書評とか政策提言とかも書く予定だから自分が研究する当該分野に於いての前提知識とかは仕入れといた方が良さ気な感じだな…学会に因っては自分のトコで出した文献を参考文献に何点盛り込んでるかで合格に近付く様な所も在る様だからね…

書評でも最新の奴探す必要が在るから難しいな…

誰に助けを求めて良いのか解らん…
今日は実にヤバイ一日だった…

よりに因って会計怒らせちまうンだモンなァ…本とか購入すんの会計だからよ…

あー…携帯が風前の灯火だったとは言え馬鹿な事しちまったよなァ…

後、研究論文書く上で重要な事が人と話す事で在る事も改めて痛感した。

思えば俺が書いた修士論文にはそんなドラマが無かったよなァ…

新しく覚えた技として、個人インタビューって方法が在るンだが、そいつを参照文献に加えられるらしい。俺の論文に血肉が通う時が遂に来たのかも…

例えばメールや電話も使えるみたいね…どんどん使うぞ☆

何しろ語数が極端に少ないから何とか殖やさねば成らぬ。今度狙ってる学会に出す投稿論文の語数の半分位しか書けてないから…

まァ教員採用試験の書式の内序論・本論・結論の三段方式が簡単そうだから其れを基本として書く事を旨とはしてるけどね…

でも投稿論文っつっても高々修論レヴェル。どーせなら博論レヴェルを狙ってみたいよなァ…語数制限無で書き捲る感じね…

mixiって肝心な所を省くからなァ…原典に当るのは研究者の基本だから一応下の資料に当ってみたンだけど…

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070225it13.htm

>教員免許法改正案では、現在、有効期間がない教員免許に更新制を導入し、10年ごと30時間の講習を義務づける。優秀教員や校長、教頭などの管理職は「必要がない」と判断されれば、講習は免除される。

此処の記述が抜けてるンだな…其れに優秀教員の定義が不明確だし、管理職のみ免除って何なんだ一体…

変な所に結論が達するよね…寧ろ教職課程に於いて鍛錬を過酷にして行けば『でもしか』の様な連中は減り、聖職者としての教育者が生まれる様に感じるンだが…

理念は解るンだが何と無く荒削りだなァ…政治家もせめて大學院位は行っといた方が良いよ。

まァ文科省は教員免許取得者を精進させる様な方向で二種免許取得者の上進を奨励してる様だし、一種免許取得者に関しても精進させる様な事を奨励して居る(
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19530207001/k19530207001.html)。

>十 教育職員免許法(昭和二十四年法律第百四十七号)による小学校、中学校、高等学校若しくは幼稚園の教諭若しくは養護教諭の専修免許状又は一種免許状を有する者で二十二歳に達したもの

詰り更新制度を導入せずとも現職教員の質を向上させる機会等幾らでも在る訳。

寧ろ大学教員の改革の方が先決だと思う。特に文系の場合、満期退学者を減らす方向で持ってって欲しい位だよな…国が修士課程の指導教授は博士号取得者って規定してンのに未だに守られてないぜ…良い教育者を生むには良い研究者が生まれないとね…

駅迄は徒歩なんだがどーやら発熱装置が完成してる所為か鳥渡動かしたら体が温まる…でも温まる迄が寒い…

ピンク筋付けんとなァ…

一体今日は何歩歩いたンだろう…秀明大学―新鎌ヶ谷駅間を雨に濡れつつ歩いた感じ…

未だ未だ鍛錬が足りんのう…

博士課程の入試って難しい上に倍率が高い。

まァ基本的な部分は修士課程の問題と変らンのだけど…

修士課程の入試+αが加わる様な感じ…

修士と博士の問題の中身が違うンだが、是じゃ外部生は溜まったモンじゃねェよなァ…

いっその事同じにして博士受けて何らかの形で進めない人に対しては自動的に修士に合格させるって制度を作りゃ大学の方も儲かる様に思うンだがなァ…

例えば同じ問題で在っても博士の受験生で在れば博論の分量的な物も在るから多めに書かせるとかな…

紙代だって浮くだろーによ…大学院で番張ってる教授達ですら経済は知らんと見えるぜ…

江戸時代の制度に則った噺をすっと、藩校は道府県立と区立及び市立に相当すっかも知れんね…

ほんで町村立ってなァ現代に於いても郡の中に集約されてっから郷校かな…

で、都道府県立が上士用で、区立とか市立ってのが中士や下士用の代物かな…

尤も都道府県立って高校からントコが多いンだがな…中等一貫校設置に因って結構殖えてるみたいだが…

幕府が建てた奴で幕臣にのみ門戸を開いてた様な奴を都立、陪臣にも門戸を開いた奴は国立とす可きだな…

学習院は…天皇を頭目とする道場の様なモンかな…

私立高校が私塾で、寺子屋が塾とか学会だな…まァ此の辺りは一応の目安って事で…

日本史を今の教育制度に結び付けっと迚も面白ェ…無論世界史も面白ェけど其れは又の機会に…



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プロフィール
HN:
胴太貫正國
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1983/03/22
職業:
忍頭
趣味:
文武両道の稽古
自己紹介:
一応高校英語教諭の免許が取れる事に成ったので、英学に関するあらゆる事を極めたいと日々奮闘してる次第☆ 英語を専門とするからには英語で何でも出来ないとねってのが持論。然し、英語至上主義は嫌いで英語と日本語の架け橋と成りたいと謂うのが偽り無き本音で在る。矢鱈と片仮名語を使いたがる昨今の風潮に警鐘を鳴らして行きたい。
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