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子を貸し腕を貸し仕る
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資料からして今一だと思う。大学院の「院」の意味が院政の「院」と同義で在る様に思われる為だ。詰り、大学の付随的教育機関としか認識されてない様に思われる。唯、此の教育機関に属する物は企業の研究職に匹敵する程の能力は少なくとも有って居る。

給与面から見た場合、必ずしも優遇されてない為か、大学院へ進学する人は少ない。

是を解消する方策を今から述べて行きたい。先程資料に問題点が在ると述べた。資料に於いて大学院がアピールした方が良い箇所が欠落して居るのだ。

制度的には博士前期課程二年、博士後期課程三年と云うのは飽く迄も標準修業年限で在り、夫々の課程を最短一年で修了する事も認められて居る。だが、修士課程を一年で修了した人は博士後期課程を二年勤め上げねば成らない。

此の辺りをアピールして居る所が文系では少な過ぎる様に思われる。先ずは最短での修了を認める事で、大学院の人気度は若干向上する様に思われる。先ずは年数を標準修業年限なのか最短修業年限なのかを明確化する事が必要だ。

何故ならば、一年余計に留年等した人に取っては一年遅れた事にコンプレックスを抱く人も多いと考えられる為だ。一年取り戻させる機会を与えても良いと考えるのは俺丈では無かろう。

因みに俺が属して居る大学院では最短修了を認めて居る様だ。最短修了には修士論文と同水準の研究業績が必要とされる様だ。現実問題として難しいのかも知れないが、是非全国的に広まって欲しい制度では在る。
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教育学も学ばないと生存出来ない事は前から知って居た。中でも高等教育機関は改善の余地が在る事は周知の事実では無かろうか。

Ⅱの中の六章~九章に関してはざっと流し読みする丈で事足りる様に感じる。

当面重要箇所と目されるは其れ以外の所だと思われる。

教育制度を考えたいならこーゆー本を読んで欲しいね…政治家の人達には…

高等教育では検定教科書は使わず、教授達の好きな文献を基本とした學習をする。

中には検定教科書が禁手として居る物迄盛り沢山で在る。

然し、禁手を學べば學ぶ程病み付きに成って来るのは俺丈じゃねェだろう。

恐らくはフィルター無しの状態に慣らしてく事が大人への第一歩なのでは無いかと考える次第で在る。

詰り高等教育が薄汚れた社会人への移行期と解釈する事が出来ないだろうか。

今日の日記はこんな感じで終る。


確かに検定教科書内は基本的な事なんで學ぶのは俺にとって良い風に作用するのは間違い無ェ。

だが、知的探究心旺盛な俺はそん丈じゃ何と無く物足りンのよな…

出来る限りの事をしてみたいっちゅーかね…

古書なんかも読んでみたいンだけどそーすっと漢字の知識が要求されるわな…然し、常用漢字のみでは対処し切れん訳で常用漢字と表外漢字の移行を円滑にする為の準一級の勉強が不可欠な訳だ。

とは言え、字訓が同じでも、音が違う漢字が完全な意味の一致を見せるかってのも疑問な所だ。『周』と『普』は両方とも『アマネく』って読むンだけど、そっから派生する熟語が違う。例えば『普及』なんてのは在るけど『周及』なんてぇのは無い。だからどっかしらで微妙に違う訳だ。

従って、移行等せずとも漢字の語彙力って奴が高けりゃ表外漢字→常用漢字への書換なんて特に不要なのかも知れンね…

色んな専門書を読む事と全ての漢字を覚える事は同時進行で行ってきたいねェ…



最も大切なのは論文博士を廃する事ではなく、課程博士の要件を充実させる事だ。そうでないと、大學院生と企業の研究職の明確な差が見られずに、大學院不要論へと発展する事は明らか。

今の學生達は体力が足りないから学部と連動させて体育を必修にするのが一つ。

其の次の方法としては、論文博士にしても認定機関は學校なんだから、何か課題を与える事だって出来る。特に日本人としての教養として國語の問題は出して欲しかったりする。

何が言いたいかってゆーと、學校って場は文に偏ってても行かんし武に偏ってても行かんって事。全体の調和が要求される様に感じる。

學校ならではの物を表現して行かないから教育費面に於いて國が中々ゴーサインを出さないンだよな…

言う迄も無く実務面のみを追及してたら企業と互角か其れ以下。だから教養面等も大いに磨いた方が良いと思う。

沢山の書物を読めとは誰もが奨める事だろう。だが其の微細な部分迄解釈して居る人はどん位居るンだろう。

俺が考えた所では、二通り考えられる。

先ず挙げられるのが、関連性を考えずに様々な分野の本を読む事。此の方法を使った場合、語彙が殖える。広く浅くとゆー奴だ。

次に考えられるのが、一つの分野に関する文献から其の前の先行研究的文献に派生させて読む、言わば狭く深く式の読み方だ。此の場合に於いて、筆者は言替を用いて先行研究に書かれた物を説明する為、表現力が向上する。

どちらが良いかは其の時次第だろう。

尤も俺の場合広く深くが信条なれど…


実に色んな物が存在する事が解った。世の中は実に広い。

今、興味有ち始めてンのが警察(大)學校とか教員養成課程って奴。特に教員養成課程に関しちゃ、今迄の認識を覆す程の所の様だ。

然し、是等の事にも手を出せば今後の指針案を考える上で大いに役立つと思う。

俺の出身高校は埼玉に在る革新派の高校だ。此処は入るのは簡単だが出るのが難しいって位厳しい教育をして来る。

然し此の學校でさえ遅れて居る側面が在る。

其れは技能審査合格者優遇制度校では無い事。此処で云う技能審査ってなァ漢検や英検と云った資格の事で、優遇制度校ってなァ其れを単位認定する學校の事。

學力低下が叫ばれて居る。そして學校毎の成績で優を取ったとしても其れが全国水準で通用する訳では無いし、教員側が不正を働いて合格としてる場合も十分に有り得る。しかし全国統一型試験で在る是等の技能試験にはそんな不正は學校程起こり難い。

其の様な修羅場を克服した者共こそ優遇されて然る可きなのに、のらりくらりと課程年数のみ過ぎて行く様な連中と同列扱いだ。第一、課程學生が物事に真摯に取り組む時って学内考査期や入試期位しか無ェし…同じ単位を与えるにしても多少の優劣を付ける事で大學全入時代にも対処出来る様に感じるが…因みに漢検で単位認定する所の内訳を見てみっとまァ二単位が与えられるのが普通。

何れにしてもこーゆー技能審査の學校単位への適用に関して鈍感な學校が多過ぎるって事よ。もう少し才能教育って奴をして欲しいね…

若し俺の母校が斯様な技能審査合格者優遇制度校だったなら、俺の人生は変ってたンだろーなァ…

まァそんな事嘆いてても仕様が無い。読書でもして感性を磨くさ♪
重ね重ね断って措くが今から述べる方法は研究方法の一例に過ぎない。

先ず或る主題に関して統計なり実験なりして結果を出す。

其の次に結果として出た数値に於ける可否を加える。

其の後で何故其の結果に成ったかの考察を加える。

考察に於いてした方が良いと思われる物としては、原因の究明→究明された原因に於ける問題点等の指摘→打開策と云った物が見込まれる。

特に打開策の考察が十分か否かで博士論文と修士論文の明暗を分ける様な感じが様々な文献を読んだ俺の実感としては有る―勿論此の様な仮説に関しては適宜軌道修正する必要は有るのは間違い無い―。

一つ言える事は、単に分量のみの問題では無さそうだと云う事。
どー考えても教員免許更新制と云うよりか採用更新制の方が現実的らしい…此の国では…

後付け加えるとしたら、教員達の研修の場を学会とかにも広げる事かな…

其処で実績付けた教員には基本給に加え加算給を出すとかって優遇策は必要だと思うよ。

実戦経験は勿論在るに越した事は無いが、其れでも先行的理論は必要だと思う。

一番良いのは、此の國の國民がもう少し學問て奴に興味を有ってくれる事なんだがなァ…

修士課程を二年で修了した人と學士課程修了後二年の実務経験の人が同じ給料ってのは先ず他國では有得んらしい。此処ら辺にも日本社会の間違いって奴を感じるね…



教育學者でさえ其の眞髄を極めるに四苦八苦して居ると云うに、最低でも基本的な部分しか学んで居ない今の官僚が現役の教育學者も交えずに隠居組を交えた丈の会議で教育政策が成功出来る訳が無い。

第一是迄の事例を見て御覧よ!!

目先の事許り考えて改革したゆとり教育だって段々と綱紀粛正に近い方向への是正が考えられてるだろ?!

せめて十手先って奴を読める人材が此の日本には乏しい為だ。

同じ過ちを何度も繰り返す様で本当に良いのか俺は頗る疑問を感じる。

過去の事例に欠点が在り、且つ現状に問題点が有る場合、過去の事例に戻すのみでは行けない。過去の事例を参考にしつつ新物の構築が必要なので在る。

取り敢えず俺が教育に関して苦言を呈するとしたら、朝読書の全国水準での奨励かな…児童期より検定教科書以外の本も読ませる事で柔軟な思考力を養成するのが狙い。

後は長時間読書し続けられる丈の精力が欲しい。是は体育で養えるだろう。

まァ九割九分九厘九毛の人々が仮令事勿れ主義だったとしても俺は戦い続ける所存☆

型破りの段階とは『守・破・離』に於ける破以上の段階だ。

此の段階に於いては与えられた枠組の中で自分なりに工夫する事が求められるので在る。

『型』とは或る枠組に於いて最低限知って措かねば成らぬ物で在り、常識の如き物で在る。然し乍ら、是を実戦に使い熟すには師に教えられた通りをする丈では不十分で在り、独自研鑚が必要に成って来るので在る。

恐らくでは在るが、技に魂が籠り、精神的主体性が出て来るのは此の域に達してからの様に思われる。

人生とは是即ち型破りな者達が作った物が型に成る、即ち常識に成る事の繰り返しの様に思われるので在る。常識=教科書と言っても過言では無かろう。

其の為、先人達が作った事物のみに拘泥する者達は斬新で奇抜な発想に付いて来る事は永久に出来ない。

些細な言葉尻を捉えるのみで言外の意味を知ろうとしない様な人の揚足取りをする所は日本人の悪い癖だが、そんな暇が在ったら一に工夫、二に工夫で在る。場合に因っては師を殺す位の勢いで望んでも良いのでは無かろうか。

何かに一生懸命打ち込んだ者で無いと見えない境地と云う物が在る筈だ。

そうそう、例えばプレゼンテーションとかってのは自分なりに考えて咀嚼した努力の跡が垣間見える為、破の段階に達したか其れと同程度と見て間違いは無い様に思う。
以下の記事より☆

http://www.jiji.com/jc/zc?key=%b5%fe%c2%e7&k=2007032701044

>京都大は27日、女性研究者にセクハラ行為をしたとして、大学院人間・環境学研究科の60代の男性教授を同日付で停職6カ月の懲戒処分にしたと発表した。教授は事実関係を認め、「深く反省している」と話しているという。

指導者としての欠片が無いねェ…教員免許取得者をどーこーゆー前に大學教員を鍛え直した方が良いよ…


教師の条件としては、表現力が有る事に尽きないだろうか。

暗記中心の勉強では頭でっかちの教師しか生まれない。

又、教育実習の期間も長くて三週間―。是では場数が少ないのだからストレスの余り不祥事を起こしても仕方が無い様に感じる。

では如何すれば良いのか。

抑學士課程を卒業すると、教員免許状を取得しない迄も、専修学校や高等専門学校の教員にも成る事が法的に可能なので在る。だから当然指導者としての自覚を有つ可きだろう。

具体的に言うと、全入時代と云う事も考えて、少人数制授業にする等が望ましい様に思われる―多人数でも出来ぬ事は無い―。

そして、先ず専門科目に関しては一冊の文献を使い、口頭発表の機会を設ける様にするのだ。詰る所、要約で在る。要約した物を発表の過程で若干変化させる等するのだ。是は担当箇所を予め決めて措いた方が良い。

是は生徒は勿論の事、大學教授の質の向上にも繋がる。大學教授は文献の内容をきちんと理解して居る必要が在る為だ。

唯、大學教授達の負担を少しでも軽くする為の方策は在る。其れは自著を使う事だ。自著で在ればどの様な事を書いたか覚えて居る訳だし、學生としても親しみが有てる様に感じる。學生は其れ丈大學教授の心髄を知る事が出来、一層の信頼関係で結ばれる様に成るのでは無いか。余力が在れば、大學教授が使った専攻文献に当る等して当該分野を深める様にするのも良い。然し、飽く迄必修とす可きは大學教授の著書を読ませる事で在る。

學生としても疑問を有った箇所は教えて貰える筈で在るし、大學教授としても、學生との交流に因り新しい研究実績を生み出す事が出来るかも知れぬ。

其れが為、大學教授には學位は勿論の事、研究業績も必要に思われて成らぬ。

但し、教職課程に於いては現場教師も織り交ぜた方が良いかも知れぬ。

良質の教師を生み出すには大學を改革するより外無い様に感じられる。


http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070328k0000m010020000c.html

>政府は27日、新たに教員免許に10年の有効期間を設ける教員免許法改正案を閣議決定した。成立すれば、09年度から教員免許更新制を導入する。このほか学校教育法と地方教育行政法の改正案も30日に閣議決定し、教育関連3法案として国会に一括提出する。

 教員免許法改正案は、有効期間が満了する教員の求めに応じ、都道府県教育委員会が免許更新講習を実施。修了すれば、有効期間を10年間更新する。すでに免許を持つ教員にも、10年ごとの講習を義務付ける。

 また関連法の改正で、都道府県・政令市教委に、指導が不適切と認定した教員への「指導改善研修」の実施を義務付け、1年以内に改善がなければ免職などの措置を取るよう定める。

何冊か専門の『教科書』を読み進めて、未開拓の場所を探求して行く内に自分の形が出来て来る。

此処迄来ると破の段階に至ったと見て良いと思う。

然し未だ教科書に依存して居る部分が多々在る為、離の段階に至ったとは言えん。

でも最近は日本語論文を読んで居る為か、論文がどーゆー物なのかが解って来た感じだ。

書いて行くと面白い。然し乍ら、頁数を殖やす上での基本は矢張り読書の様に思われる。

官僚は基本のみを徹底したジェネラリストで在り、基本に忠実で在る事が最優先される為、此処での論題の対象とはしない。彼等の個々の分野に措ける技量は児戯に等しく、更に御用繁多で在る事から基本から著しく逸脱した物に手を出したがらない人が多い。

此処で問題にしたいのは飽く迄もスペシャリストで在る。

私自身が考えるに、スペシャリストには三通り存在する様に感じる。

即ち、実務家・教師・研究者で在る。

実生活との密着度から考えると、実務家≧教師≧研究者と成る。

与えられた職務を全うすると云う面に於いては実務家も官僚と然程変わらない。唯一の違いとすれば、実務家の方が当該分野に於ける応用技を知ってる事位で在ろうか。但し、彼等は知識を手続的に覚えるのは得意でも宣言的に覚えるのが不得手な場合が多い。故に実務的能力のみでは後継者が育ち難い。其れに実務家も自身の技術の継承には然程執着を見せないらしーので在る。

教師に関しては、実務家としての能力に加え卓越した指導能力が要求される。具体的には当該分野の教科書が理解出来る事は勿論の事、其れを人に教える口頭での表現技術だ。故に教師を養成する場合必ず課されるのが学科試験だ。然し乍ら、此の様な宣言的指導法では片付かない感覚手続的な物が存在するのも確かだ。其れ等をどの様に口頭で表現出来るかが教師の指導力の指標なのではないか。

研究者の場合、やや自由度が高い。確率されて居る数々の資料の中から未開拓の物を様々に昇華して新しい物を構築するのだ。是は世の中の円滑化を図る上では最高の業績の様に思われる。然し乍ら、其の空理空論に因り考案物が実生活との齟齬を生む場合も多く、研究者の場合、如何にして世に受容される物を構築するかに懸って居るのでは無かろうか。

能力的な側面から考えると、研究者≧教師≧実務家と言える。抑実務家が研究者としての素性を有てば実務家も研究者に成れるし、教師としての素性を有てば教師に成れる訳で在る。研究者乃至教師が実務家としての知識を得る事で持論を発展させる上で一役買うのは間違い無いのでは無いか。

其れこそ通常のスペシャリストには見られないダブル・スペシャリストとしての地位を歩む事にも繋がる訳で在る。ダブル・スペシャリストに因って構築された基本技能は従来の物よりも効率的な場合が多い為、軽視出来ぬ能力で在る。教師は両面に於ける理論と実践を徹底的に網羅するとすると、研究者は理解の促進を図る為に更なる効率化を図るのかも知れない。

教育を考える上では重要な事の様に思える。

幼稚園から大學迄は守だと思う。此の辺りの段階は多少の差こそ在れ、教科書に忠実で在る事が基本で在る事に違いは無い。

大學院博士前期課程が破の段階で、博士後期課程が離の段階の様に思われる。

博士両課程に関しては、貢献度の差に過ぎんと思われる。前期課程から後期課程に行くに従って独創性が見出される訳だ。最新情報は勿論の事、最古の情報迄遡って独自の境地を作り出す訳だから教科書は要らないのは至極当然の様に思われる。因みに前期課程を修了すると得られる修士号は博士論文が不完全な者に慰めの為に与えられる代物の様だ。

大學に於いては一部の学校では學位論文を課す場合も在るので守と破の中間層に位置すると見て差し支え無いのかも知れん。

研究対象は前人未踏で在れば在る丈良い。

今俺自身、自らの専門で在る語学を主体に据える様な感じで考えて来ては居たンだが、独自の方向性が見えて来た様に思える。

言語学ってのは結構地域との乖離が激しいのは物凄く苦々しく思ってた。其れに指導教授も固い。

こー成りゃ独自の境地を築き上げるより他在るまい…

俺が今考えてンのは、英語を飽く迄も学習教科の一つとして捉え、其れを様々な学習教科が含まれる『教育』って範疇に纏め上げた様な物。

勿論教育の根本に言語を据える訳なんだけど、此の場合、英語よりも日本語の方が望ましいと考えて居る。

論文も、日本語で書くのを主としたい。又、英語教諭免許取得者としての意地も在る為、英訳した物も出して行きたい。
何が何でも外国語で書かなきゃ行かんって法は無いと思う。

第一自国に生かす様にしないでどーすンのよ…

語学系の人とかは外国語の腕を上げる意味で外国語で書いても良いとは思うンだけどよ…

非語学系の場合は母語で書いた方が良いと思うね…

極端に発信型に走るのは間違いだと思う。

今日はこんな所。取り敢えず頭脳流出の原因だって、自国の為に尽くそうともしない左系学者達が居るからなんだろーな…
博士論文を書くには広く浅くでは不十分だ。

矢張り出来る限り広く深く物事を追求して行かねば行かんのだろう。

然し、唯闇雲に広く深く追求するのではない。

幾つかの項目を関連付けて説明出来なければ行けないので在る。

課程生は指導教授がそーなのかも知れんが、一つの枠組の中に閉じ篭り勝ちだ。

英文學専攻で在れば基本的に語学に関係した事にしか目を向けぬ輩が多過ぎる。そーゆー奴が一度官僚なんかに成ると、視野の狭さから間違った指針案を出す様に成る。

もう少し周辺分野にも気を配ったが良い。

後、日本の大學院で在れば何処で在れ國語を試験に出す位の意気込みが欲しいかな…國語力≧外國語なのは間違い無い。従って國語力を向上させんと外國語に接したとしても其れは唯の音で在り、遺跡でしかないので在る。

今、學校教育法から派生して法学に興味有ち始めてるンだけどね…

英文學専攻に居たら絶対得られん様な情報が満載だよ…

民間資格と雖も侮れぬ。何故なら其の試験たるや少なくとも全国水準で行われる為だ。

是は、学校毎で教師達に因って勝手に作られる修了試験とは雲泥の差とでも云う可き隔たりが在る。

だから民間資格にしろ有ってる事に誇りを見出す可きだと思う。

理科検定(http://www.rikagaku.org/home/grade/grade.html)ってのが存在するらしい。

『理科』って感じだから恐らく地學やら化學、生物學、物理學を包括してる物と思われる。

見てみた所、高卒水準は2級以上。

此奴を高卒認定免除要件に加えるとしてどんな風にするンかな…

此奴に受かってる丈で高等學校の理科の課程全てを修了出来るって御得算段には成りはしないか?!

恐らく受容が著しく高まる様な感じがすっけどね…

是からの動向に注目して行きたいと思う代物☆

此奴が免除要件に加わったら世の高校生は救われるンだろーなァ…

若しかしてアノ制度が日本人研究者の研究を堅苦しくしてる元凶なのかも…

例えば英語學=英語科免許、法學=公民科免許って具合なんだけどね…

従って日本の事全て網羅した日本學なんて分野の場合、教員免許が一切貰えぬ事に成る…

學際的な事したかったら學会でも入れってか…

狭いンだよなァ…

でも唯でえ教員免許更新制争議で此方の生活が脅かされてるってのにのうのうと専門分野に感ける奴等って相当危機意識を感じてねェな…

教員免許取得してねェ研究者なんか能天気だよね…

大学評価・学位授与機構のURL飛んでみたけど是奴は酷ェ!!

http://www.niad.ac.jp/n_gakui/ninteisisetsu/index.html

学士は良いとしても修士以上行くともろ理系じゃねェかよ…

もう少し文系枠を殖やしてくれよ…

文系の需要ってそんなに低かったのかよ…

阿呆だな…

此の国って真面理系に偏ってるよ…

改善求む!!

博士課程の入試って難しい上に倍率が高い。

まァ基本的な部分は修士課程の問題と変らンのだけど…

修士課程の入試+αが加わる様な感じ…

修士と博士の問題の中身が違うンだが、是じゃ外部生は溜まったモンじゃねェよなァ…

いっその事同じにして博士受けて何らかの形で進めない人に対しては自動的に修士に合格させるって制度を作りゃ大学の方も儲かる様に思うンだがなァ…

例えば同じ問題で在っても博士の受験生で在れば博論の分量的な物も在るから多めに書かせるとかな…

紙代だって浮くだろーによ…大学院で番張ってる教授達ですら経済は知らんと見えるぜ…



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胴太貫正國
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男性
誕生日:
1983/03/22
職業:
忍頭
趣味:
文武両道の稽古
自己紹介:
一応高校英語教諭の免許が取れる事に成ったので、英学に関するあらゆる事を極めたいと日々奮闘してる次第☆ 英語を専門とするからには英語で何でも出来ないとねってのが持論。然し、英語至上主義は嫌いで英語と日本語の架け橋と成りたいと謂うのが偽り無き本音で在る。矢鱈と片仮名語を使いたがる昨今の風潮に警鐘を鳴らして行きたい。
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